『絶望からの脱出!私の人生を180度変えたもの 』前編

『絶望からの脱出!私の人生を180度変えたもの 』前編

最近田舎にてまったりした幸せな生活をしていて、ブログ更新を怠っておりました💦

実はこの記事をいつか、書きたいなぁと思ってライターを志望しました!
ちょっと長くなりそうなので前編、後編に分けてみました。

お時間あるときにでも、ゆっくり読んでいただけたら嬉しいです。

2016年 12月3日。

私は37歳で第一子を出産しました。
まひろは私にとって初めて出産した子なのですが、実はまひろを授かる一年ほど前に、たった少しの間だったけど、私達に幸せを運んできてくれた子がいました。

私達夫婦は出会って3ヶ月で入籍したまさに、スピード婚でした!

転職もしたばかりで三年は働いて欲しいとの会社の要望もあり、しばらくは2人で過ごす時間も欲しくて子供は3年経ってからと決めていました!
当初の予定通り三年が経ち、そろそろ欲しいねぇと妊活をはじめてすぐ!

2015年 8月。

その子は待っていたかのように、すぐ私達の元へやってきてくれました。


まさかそんなすぐに出来るとは思わず、もう嬉しさとか幸せでいっぱいで毎日がキラキラしていました!

初めて病院へいって、エコーを見た時小さな命がそこにあって、一生懸命動いていました!!!

あんなに幸せな気持ちは人生でそうないでしょう。
ですが、そんな幸せな日々は長く続きませんでした。

たった4ヶ月であの子は私たちの元を去ってしまったのです。


今でもあの日のことは、昨日のことのように記憶が蘇ってきます。
ちょうど翌日の検診で母子手帳をもらえるはずだったのです!!
初めての母子手帳。

もう待ちに待ったその前日のこと。

仕事中、少しお腹が痛くてトイレに行くと微量の出血が、、、
不安で震える手を必死に抑えながら、病院に電話したのを今でも覚えています。

すぐに来てください!と言われて!!!

上司に話して早退してすぐに、病院へ。。。
もう心臓がバクバクして、とにかく生きていて

大丈夫!大丈夫!大丈夫!と何度も繰り返し祈りながらタクシーに飛び乗りました。

病院へついて診察台にあがって、先生に診てもらうと、、、

「う、、、ん。残念だけど心拍が確認できないね。うまく育ってないかもしれないね」

といわれもう、頭が真っ白になりました。

そして、その場から立てないほど泣き崩れて、

看護師さんに両肩を抱えてもらってベッドに連れていかれました。
何時間もそこで泣いて一歩も動けませんでした。

すぐ実家の母にもきてもらい、説明を代わりに聞いてもらって、
やっとダンナに電話をしました。

「赤ちゃん。だめかもしれないって。心臓が動いてないかもしれないって。。。」
1日様子を見て、明日もう一度確認することになりました。

その日はただひたすら、間違いであって欲しい!奇跡がおきて!とただただ、願いました。

翌日ダンナが仕事を休んでくれました。

一緒に病院へ行き、診察してもらいエコーをみると、そこには何もみえなくて、、、こないだ見た時は元気に動いていたのに、、、、
確かにそこに小さな命があったのに。
「残念ですが、やっぱり心拍が確認できないね。稽留流産されています。」

もう、何も考えられませんでした。

ほんとに、頭が真っ白で目の前から色が消えてモノクロの世界が襲ってきて、、、

そして
ただただ滝のように涙が溢れでて、呆然としながら診察台から降りてダンナのところへいくと、彼は私以上に泣いていました。

エコーをじっと見ながら、声を押し殺して泣いていました。
二人で手を取りながら泣きました。

二人で声をあげて泣きました。

あまりにダンナが泣いているので、看護師さんが心配してきてくれたほど。。。

その後の記憶は殆んどありません。
私が覚えているのはそこまでなんです。

そのあと3日後くらいに手術があって目を覚ましたあたりからまたやんわり覚えているのですが、助産師さんがきてくれて、
「この子が一人で寂しくないようにお花を買ってあげて。そしたらお花をもって天国にいけるから。」
と言われて、家にエコー写真と妊婦マークのキーホルダーと一緒にお花を供えてあげました。

その子にはまだ性別もわからないのに、
スミレ」という名前をつけていました。

漠然と女の子と決めていました。

スミレは私達を選んできてくれたはずなのに、外の世界を見せてあげることができませんでした。
スミレ、ごめん。ごめんね。
それから毎日泣いて泣いて、仕事してても、バスに乗ってても、うちにいても気づいたら涙が止まらなくて。

昨日までここにいたものが、突如いなくなってしまった喪失感。

今までに感じたことのない悲しみ。

ぽっかり私の真ん中に穴があいてしまったような、生きているのに生きてる気がしない毎日を過ごしていました。

しかも、これ以上ない悲しみを背負っていた私に追い討ちをかけるような出来事がありました。


妊娠がわかったときに子宮ガン検診も受けていました。

恥ずかしながら35歳まで一度も受けたことがなく、初めての子宮ガン検診でした。

検査結果がスミレを失ってすぐに届きました。

まさかの要再検査でした。
高度異形成の疑いありとのこと。
これ以上ない程の悲しみの上に、ガンかもしれないというショッキングな検査結果がのしかかり、もはや生きる気力を失いつつありました。

抜け殻。

まさにその時のわたしは抜け殻でした。

そんなある日。

スミレを失ってちょうど1ヶ月後、私の元に友達から一通のメールがとどきました。

まさかそのメールがその後の
私の人生を180度変えるもの
になるなんて、その時は知る由もなかったのです。


余談ですが私のような経験をされた方を「天使ママ」と呼ぶそうです。
残念ながらこの世に生を受けることができなかったお子さんや、生まれることができても短い一生だったお子さんを授かったママたちのことを指します。

流産して知ったのは、意外にも流産を経験している方が多かったこと
初めの子を流産したお友達が
実は私も、、、と、꒰*´∀`*꒱
何人か教えてくれて、本当に勇気を貰いました。

今もこのブログを読んで同じように涙を流した日を思い出す天使ママさんもいると思います。
悲しませてしまったらごめんなさい。

今まさにこの苦しみと闘っている天使ママさんもいるかもしれません。
あなただけではないですよ。同じ悲しみを経験した天使ママさんがたくさんいます。

そんな天使ママさんに知ってほしいことがあるのです。

私が救われて無事にまひろを授かれたわけを。。
少しでも多くの人が幸せを感じてもらえるブログを書きたくて、ライター志望しました。

この記事もただ流産した悲しい経験だけなら書かなかったと思います。

でもこの悲しみを乗り越えて、幸せになれたいまがあるから、ぜひたくさんの人に伝えたいという想いで書くことを決めました!

次回はWの悲劇に見舞われた私が、
どうやって立ち直れたのか、まひろを授かれたのかお話したいと思います。


後編へつづく。           

後編はこちら

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reemahiro123
毒舌で強烈なキャラと安心感のあるワガママBODY、そして趣味は手相占いという怪しげな37歳。 巷では密かにじわじわと人気沸騰中!その名も『ree様です』 他にはない、読んでいて飽きない、笑えたり、少し泣けたりする、なんかマンガを読んでいるようなブログを目指しています♥ 愛娘まひろさんも要check it out! please follow me!

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