赤ちゃんが欲しい 〜愛するわが子を授かるまでの9年間〜★後編★

赤ちゃんが欲しい 〜愛するわが子を授かるまでの9年間〜★後編★

私は38歳で1歳3ヶ月の娘がいます。結婚したのは28歳のときで、出産したのは37歳のときです。
今回は私が経験してきた
「愛するわが子を授かるまでの9年間」についての後編です。

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⑼ 前を向きたい!

やっと授かった赤ちゃんとお別れをしてからというもの、出血したり、気分が落ち込んだりして、私の時間は進まないままでした。
「赤ちゃんがお腹にいてくれたあのときに戻りたい!」
そんな気持ちだったのかもしれません。
でも時間の経過とともに少しずつ前を向く勇気がわいてきました。それは間違いなくお腹に来てくれた赤ちゃんのおかげだと思っています。
自分の気持ちを吐き出したくて、不妊で悩む人たちのサイトに書き込みをしたり、同じ境遇の人たちの気持ちを聞いたりして、とにかく気持ちを吐き出しました。
そこで私はある本と出会います。

池川 明さんの胎内記憶について書かれた本です。
雲の上でママをみていたときのこと。
ママ、さよなら。ありがとう
の2冊です。

すぐにこれらの本を買って読みました。
それまで胎内記憶のことについて全く知らなかった私は、何だか不思議な気分になり、涙がとめどなく溢れでてきて、赤ちゃんが来てくれたことの本当の意味を知ることができたように思いました。大げさかもしれませんが、魔法にかかったようなそんな気分でした。

短い短い命だったけど、その命には大きな大きな意味があって、きっと私たち夫婦に
「大丈夫だよ!赤ちゃんはきっと来てくれるけど、今はまだ準備が出来てないんだ。それを伝えるために私が急いでお腹に来たんだよ。でも、私はすぐに死んじゃうって神様に言われてたの。でもでも、それをわかってて来たんだよ!だから悲しまないでね。赤ちゃんはまた来るからね。」
と伝えに来てくれたのだと思えました。
このメッセージは、当時、なぜだか私の中にふっと降りてきたメッセージです。あの赤ちゃんが頑張って私に伝えてくれたメッセージだと思っています。

だから私はあの赤ちゃんとまだ見ぬ赤ちゃんのために前を向こうと思えるようになったのです。本当に不思議な、ステキな本との出会いでした。この本との出会いをきっかけに主人と前を向き、子授けのご利益がある場所へ旅行に行ったり、趣味を楽しんだり、自分の生活を充実させていきました。赤ちゃんのことを忘れることはできませんでしたが、あの赤ちゃんが私たちを見てくれているようなそんな気持ちでした。

⑽新たな治療へ

しばらく治療をお休みしていたとき、職場の人間ドックで、ある総合病院に行きました。
ドッグの内容に女性検診が入っていたので、不妊治療をしていて今はお休みしていることや、高プロラクチンのことについても話しました。すると、うちにも産婦人科があるのでよければ受診されませんかと勧められました。ちょっとお休みをして元気を充電できていた私は、

「行ってみようかなぁ。」
という気持ちになり、その足で隣の棟にある産婦人科を受診しました。治療を始めようという気持ちに戻れたことに驚きでした。

そこは、いわゆる婦人科、産婦人科とはちょっと雰囲気が違っていて、総合病院ということもあり、同じフロアに小児科が入っていました。

しかし、飛び込みの患者さんは来ないこともあり、人は少なく、静かに診察までの時間を待つことができました。先ず最初に、今までの治療のことを話しました。そして、タイミングから始めることになりました。しかし、妊娠する気配もなく、すぐに人工授精へステップアップしました。ずっとタイミング法だった私が人工授精を決断するのには、ちょっと勇気がいりました。

しかし、人工授精で授かったとしても大切な命だということには何ら変わりないのだと思い、決断をしました。ここで人工授精を10数回・・全て結果が出ませんでした。もう最後の方は
「今回もまたダメだろうな。」
という気持ちで診察台に上がっていたのを覚えています。さすがに10数回も結果が出ないと、とても前向きにはなれなくなるのです。
リセットするたびに大荒れ、大泣き。もうダメだ。赤ちゃんは来ないんだ。病院の先生にも強く当たりました。そして病院を出て、車に乗って、外に漏れるほどの声で大泣き。こんな姿、あの赤ちゃんはどう思って見ていたでしょう。
私よりも悲しかったかもしれません。そして、何をしてあげようもない主人も辛かったと思います。

そして次の診察の時、主治医の先生がお休みで、別の先生が代わりに診てくださいました。その先生は、私の話を聞いてすぐに「紹介状を書きますから、そちらで診てもらって下さい。」と言われました。
私はこの先生はさじを投げたのだと思ってしまいました。紹介状を書かれたその病院は、私がひそかに「この病院は『最後の砦』だから、ここでダメならもうダメだ」と思っていた病院でした。それほど不妊治療では有名な病院でした。この紹介状をもらった日、何だか張りつめていた糸が切れてしまったような、自分が空っぽになってしまったような、何とも例えようのない気持ちになりました。ここの病院でもダメだったか・・もうどうしていいのかわかりませんでした。

 

(11)いざ、「最後の砦」へ!

紹介状をもらって家に帰り、主人に話しました。そして、この病院についていろいろと調べました。やはり患者さんの数も多く、かなり覚悟して治療に臨まなくてはいけないと感じました。私にとって「最後の砦」であるこの病院で診てもらってダメなら、本当に赤ちゃんを授かることを諦めなければいけないんだと怖くて悲しくてさびしい気持ちでいっぱいでした。

でも、ここで立ち止まったら赤ちゃんに会えない!そう思って最後の力を振り絞って予約を入れ、治療に向かいました。当日は朝7:00くらいから病院へ行きました。すでに他の患者さんもいらっしゃいました。中にはスーツケースを持った夫婦も・・「こんな気持ちで治療してるのは私たちだけじゃない。」この病院に来ると改めてそう気づかされました。

あっという間に患者さんは増え、座るところもないほど増えていきました。別のフロアにも待合室はありましたが、そこもいっぱい。赤ちゃんを授かりたくてもなかなか授かれない人がこんなにも大勢いることに驚きました。待合室は重たい空気です。
笑っている人なんか誰もいません。
何時間待ってもなかなか呼ばれず、やっと呼ばれて診察へ。驚いたことにタイミング法を勧められました。理由は、高プロラクチン以外にとくに原因がないからとのこと。確かにそうなのですが、またふりだしに戻ったような気持ちになりました。とりあえず言われた通りタイミングから始めてみましたが結果は出ず、すぐに人工授精へとステップアップしました。しかし毎月リセットを繰り返しました。
「この病院でダメなら・・」そんな思いばかりが頭を巡ります。そしてついに体外受精へとステップアップを決心します。ためらいがなかったわけではありません。
まさか自分が高度生殖医療をすることになるとは思っていなかったし、何だかこわい気がしました。それにできることなら自然に近い形での妊娠を望む気持ちもありました。しかしいろいろ考えて、

どんな形であれ、尊い命には変わりない
と再度思うことができ、体外受精を決断しました。
採卵の前には、自己注射をしていました。自分でお腹に注射をします。主人は見ていられないと言っていましたが、私はもう自分のお腹に針を刺すことに慣れっこになっていました。もちろん痛かったです。
でも、赤ちゃんに会うためならと思えば、耐えられました。しかし、私はどんなに強い誘発を行っても、1、2個しか採卵することができませんでした。それに加えてその卵はグレードの低いものばかりでした。1回目の体外受精は、2個の卵を採卵し、分割したものを子宮へ戻しました。

しかし着床はしませんでした。本当に本当に落ち込みました。時間も体力も気力もお金も使ってリセット。そして何より、次の治療のことを考えるのが辛いのです。体外受精は、やはり体へのダメージは大きいと思います。もちろん精神的にも・・治療費も1回40万円ほどかかります。そうしたこともあり、そんなに何回もできるものではないのです。どこまで体外受精をするのか、私たちはその結論も出ないまま、2回目の体外受精を決めました。治療は辛かったですが、赤ちゃんを諦める方が辛かったからです。

そして2回目の体外受精。2回目は、採卵をしたもののうまく分割が進まずに、卵を戻すこともできませんでした。そして3回目も・・結果はどんどん悪くなるばかり。赤ちゃんが遠のいていくような気持ちになりました。もうダメだ。また病院に行けなくなりました。心の中では、ちょっと続けて頑張りすぎたから、体を休めてからまた・・という気持ちも少しはあった気がします。病院に行けなくなったのか、今は行かないと決めただけなのか曖昧なまま、病院との距離を置きました。

(12)運命の出会い

しばらく病院へは行かない日々。相変わらず生理は来ないので、薬だけはもらいに行って服用していました。治療をお休みしている間、仕事の面でスキルアップを図ろうと、自ら研修の機会を求めて、1日有給を取って県外へ研修に行くことにしました。こんなことも子どもがいたらなかなか自由に出来ないことなんだなと思いながら・・‼︎

研修を終え、帰りの飛行機の中でたまたま手に取った機内誌の中に、何だか妙に心惹かれるページが。
赤ちゃんが欲しい」そんな人が通う整体サロンがあるとのこと。
しかもそれは私たち夫婦が結婚式を挙げた思い出の教会のすぐ近く。何だか勝手に運命を感じて、その機内誌を大事に持ち帰りました。
そしてすぐさま予約をして整体サロンへ行きました。

そこは、漢方と整体で体を整えて妊娠しやすいカラダへ導くという所で、私が今までしてきたこととは正反対な所でした。だから、体外受精をしてるなんて言ったら
「そんなのダメだ」
と言われるに違いないと思い込んでいました。しかし私の考えは余計な心配で終わりました。
「うちでカラダを整えて、カラダが元気になったらまた体外受精に挑戦されてもいいんじゃないですか。」
と。驚きでした。そして、安心しました。さらに驚いたことに
大丈夫ですよ!必ず赤ちゃん来ますから
と今まで言われたこともない言葉。それなのになぜか
「そうよね!赤ちゃん、絶対来るよね」
と素直に思えた私。言葉とは本当に不思議です。

そしてそこから、新たな妊活が始まりました。漢方を飲み、骨盤を締め、体を温める。そんな生活をしてから半年、私は新しい命を授かることができました。しかも自然妊娠。こんなことがあるんだと、今でも信じられない気持ちです。

心拍を確認できるまでは、体外受精をしていた病院で細やかに診ていただきました。おかげで、小さい小さい命は、ぐんぐん大きくなっていきました。そして心拍が確認できた後、そこはお産はしていない病院だったので、転院しました。

赤ちゃんは私のお腹の中ですくすく育ちました。しかし、以前のこともあり、赤ちゃんがちゃんと育ってくれるか不安な気持ちもありました。だから、1日1日
「今日も頑張ったね❤︎」
と赤ちゃんに話しかけていました。そしてついに出産の時。最後まで逆子のままで、へその緒が巻いていたこともあり、帝王切開での出産となりましたが、しっかり産声も聞くことができ、生まれたときの温かさを感じることもできました。なんてシアワセなんだろう。言葉ではうまく言えないけれど、とにかく何とも言えないあたたかい気持ちになりました。

この間生まれたばかりだと思っていたムスメももう1歳3ヶ月。元気に遊んで、ニコニコ笑って、たくさん食べて、ぐっすり眠るかわいい女の子に成長しました。

ムスメをこの手に抱くまでに、本当にたくさんの経験をしました。そして、いろんな方に支えていただきました。
「どうして私には赤ちゃんができないの⁉︎」
と何度も自問自答していた時期もありました。でも、今となっては「授からなかった」そのことにも、きっと大きな意味があるのだと思えます。ムスメを待っている間、本当にいろんな人生の勉強をさせてもらったと思っています。その時間が、自分を成長させてくれたと思っていますし、親になるための準備でもあったと思っています。

もしもまだ授からない方が読んでくださっているのなら、私はこの待っている時間にも何らかの大切な意味があるのだとお伝えしたいです。授かるまでの9年間は、私たち夫婦にとっては、なくてはならない大切な時間で、大きな意味があったのだと信じています。ですから、子育てで悩んだり迷ったりしたときも、このときのことを思い出せば答えは出るし、辛くもありません。本当に本当に苦しかった不妊治療の時間でしたが、やっとそのときに感謝することができています。

 

これからは、授かった大切なムスメを、精一杯愛してシアワセにしていきたいと思っています。

長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。よければこうして授かったムスメとの日常をのぞいてみて下さい❤︎

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