赤ちゃんが欲しい 〜愛するわが子を授かるまでの9年間〜 ★中編★

赤ちゃんが欲しい 〜愛するわが子を授かるまでの9年間〜 ★中編★

     

前回は、私がムスメを授かるまでの最初の出来事を「前編」として書かせていただきました。私は38歳で、1歳2ヶ月のムスメがいます。出産したのは37歳のときです。

 

4️⃣病院通いをやめたけれど・・

精神的にも肉体的にもかなり追い詰められ、病院通いをやめてしまった私。しかし、赤ちゃんが欲しいという気持ちがなくなったわけではもちろんなく、どうにかしなければと思いながら生活していました。

 

その時に、同じ職場の友達に産婦人科を紹介してもらいました。彼女は生理不順でそこに通っているとのことでした。そこの病院は、漢方を使いながら、体に負担なく治療してくれて、先生も穏やかだという話を聞きました。
「それは今の自分には合っているかも!」
そう思い、早々に予約をして受診しました。以前通っていた病院に比べると患者さんも少なく、待っている間はお茶を飲めたりと、ずいぶんリラックスできる環境でした。先生も穏やかでゆっくりと話を聞いてくださいました。
「よし、ここなら心新たに治療をやれそう!」
と、ちょっと気力を取り戻したのを覚えています。しかし、ここの病院での治療も長くは続きませんでした。とてもよい環境だと感じていたのですが、ここは【婦人科】ではなく【産婦人科】です。以前の病院では見かけなかった妊婦さんが来られるのです。妊婦さんは幸せそうでした。お腹を愛おしそうになでるその姿を、微笑ましく見るような心の余裕はありませんでした。毎回診察が終わるたびに、車に乗って1人になってから泣きました。
「もうイヤだ‼︎」
そして、私は2つ目のこの病院にも別れを告げました。

 

5️⃣朝起きたら異変が・・・

それからは、しばらく病院に行けない状態が続きました。もちろん生理も来ません。でも治療をする元気はすっかりなくなっていました。でも、子どもの頃から憧れていた仕事に就いている私は、それをやりがいにしていました。主人も優しく、治療しないことに寄り添ってくれました。「子どもがいない人生」についても考えてくれていました。しかし、そんな主人を見ていると、余計に子どもを授かりたいという思いは強くなるのです。

 

 

そんな生活をしていた年のクリスマスイヴの日。その日は、クリスマスイヴにも関わらず、何かステキなイベントをしようという計画もなく「大掃除をしよう✨」と決めていました。家を建てて間もなかったこともあり、大掃除と言っても意外に楽しみでした。

それなのに・・朝起きたら
「何もしたくない。死にたい。もうここに居たくないよ。何もしたくない。消えたい。」
と強く思う自分がいました。

なぜ急にそうなったのかわかりません。でも、朝起きたらそういう気持ちが溢れ出てきて止まらないのです。あのときの気持ちをどう表現していいのかわかりませんが、とにかくただ生きてることが苦しくて苦しくて仕方がないのです。涙が止まりませんでした。座っていることも起きていることも何もかもがツライのです。食べることも動くこともできず、ただ横になって泣いて過ごしました。その日は、する予定だった大掃除を主人が全部引き受けてくれました。

 

 

6️⃣心の病

後日、主人と一緒に【心療内科】を受診しました。何事もやる気が出ない私でしたが、なぜか心療内科には行こうと思えました。主人の支えが大きかったと思います。そしてそこでさまざまな検査をした結果、「うつ病」だと診断されました。重度に近いとも言われました。でも、何だかちょっとホッとした自分もいました。ずっと眠れず、食べられずの状態だった私。体重もずいぶんと落ちていました。睡眠薬と精神安定剤を服用し、食べられるものはお菓子でもいいから食べるということを先生に言われました。ここに書いていることは覚えていますが、その間、その状態でどうやって仕事をしていたのか、家事をどうしていたのかなどは、自己防衛でしょうか、さっぱり覚えていません。

 

心療内科では、不妊治療のことも話しました。生理が来ないこともストレスの要因の一つでは⁇ということで、高プロラクチンの薬を処方してもらいました。

 

 

7️⃣奇跡が起きた!

心療内科に通い始めて1年半ほどが経ちました。処方してもらった薬のおかげで、以前よりも元気を取り戻し、生理も来るようになりました。そんなある日、いつもより少しだけ生理が遅れているのに気づき、ドキドキしながら検査薬を試しました。すると、うっすらと陽性反応が!あわてて家の近くの産婦人科へ。すると
「おめでとうございます」
とずっとずっと聞きたかった言葉を聞くことができました。もう嬉しくて、嬉しくて・・主人の帰りをドキドキしながら待ちました。

 

そして、主人に陽性の検査薬とエコー写真を黙って見せました。主人は
「わぁ〜っ‼︎」
と聞いたこともないようなすごい声をあげて喜んでくれました。

それからは、精神安定剤も睡眠薬も要らなくなり、1年半の治療を終えることができました。お腹に来てくれた赤ちゃんが、私のうつ病を治してくれました。もちろん心療内科の先生にも心から感謝しています。

 

8️⃣突然の別れ

シアワセな毎日。小さいながらも少しずつ育っていく赤ちゃんのことを考えるのが楽しみで仕方ありませんでした。かなり早い段階からつわりもあって、体はきつかったけれど、とっても幸せでした。しかし、まだ心拍も確認できていないそんな時期に、突然の出血。かなり動揺して病院に電話をしました。すぐに来てくださいと言われましたが、当時、船で職場に通っていた私はすぐに病院に行くことができませんでした。その後、主人に電話をしました。主人は
「大丈夫、大丈夫だから‼︎」
と動揺する私を励ましてくれました。そして病院へ到着。受付でまさかの一言を言われます。
「どうしてもっと早く来れなかったんですか。」
そんなことを言われても。私、こんなに不安な気持ちで急いで船に乗って帰って来たのに。そして診察室へ。先生の口から聞きたくない言葉。
「残念だけど・・5枚に1枚のジョーカーやな。」
もう自分が生きている感じがしませんでした。それからの記憶は空白です。気づいたら主人が迎えに来てくれていて、車の中で大泣きしていました。自分を責めました。
「私のせいで、赤ちゃんが死んじゃったんだ。」
「せっかく来てくれたのにごめんね。」
あんなにあんなに待っていたのに。やっと会えると思っていたのに。その日の夜、とってもとってもお腹が痛くなって、お腹がぽっこり出てきました。そして大量出血。すごい血の塊が出てきました。そして、あんなにポカポカしていたお腹が冷んやりと冷たくなりました。そのとき
「あっ、本当に赤ちゃんは私のお腹からいなくなっちゃったんだ」
と感じました。抜け殻みたいな私。
「なんで私が⁇」
「なんで私の赤ちゃんが⁇」
「なんで私たちの赤ちゃんが⁇」
シアワセからどん底へ。もう何も考えられなくて、うつ病のときでさえ休まなかった仕事を休みました。体じゃなくて、心がしんどかったです。何がいけなかったのかなぁと、考えても仕方ないことを何度も何度も考えていました。結婚してから3年目の出来事でした。

「中編」はここまでです。今回も気軽に読める内容ではないにも関わらず最後まで読んで下さり、ありがとうございました。思い出しながら、ポロポロ涙が溢れてきました。けれど、こうやって文章にすることであのときの自分を見つめ、今のシアワセに感謝する機会となりました。次回は「後編」です。次回も読んでくだされば幸いです!

以上、saopeco30 でした★彡

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9年間の不妊治療の末、やっと授かったムスメとの日々を綴ります❤︎子育てがもっと楽しくキラキラしたものになりますように★そう願って記事を書いていきます Instagram →saopeco30

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